詩恭です。
先日、こんなツイートと記事を発見し、思わずリツイートしてしまいました。
正直、「これはダメだろ」「先が見えてないのか、見ようとしていないのか」と感じました。
遅ればせながら、この件について私なりの見解を書いていきます。
未来は変化する。過去だけでは判断できない
元記事はこちら↓
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54282250Q0A110C2LA0000/
現時点は【素案】ですが、実効性がないという声があがっているのもうなづける内容です。
意見もさまざまあります。
「ゲームやスマホ=悪い」という固定概念があり、しかもそれが崩しようがないものとして存在しているのが良くないと考えます。
さらに言うならば、素案をつくった方の生きてきた基準だけで判断されていますよね。
少なくとも、先を見て今を生きてはいないと思います。
つまりは過去だけを見て生きているから、 そこを基準にして判断しているから、時代錯誤と言わざるを得ない素案ができてしまっているのではないでしょうか?
現在は「過去」の影響を受けていますが、未来はそうでないんです。
例えば10年前から同じ場所で生活をしていたとしても、現在も環境が何も変わらずずっとそのままなわけではありませんよね。
少しずつ、使うものも、周りにいる人も変化していったと思います。
変化するのは当たり前なのに、先のことを考えずに、現在だけで判断してしまうのは危険すぎます。
未来の仕事の基準はどうなのか、こちらを読んでみたら、予想はつくかもしれません。
変化せず、安易に規制だけしてきたよね?
この素案がダメだと感じるのは、規制するのに罰則がない点、さらにこれまで規制してきた影響を何も見ていない点です。
罰則がないということは、仮に規制を破ったところで、何かあるわけではないんです。
無意味だと思いませんか?
もちろん、素案なので、今後は何か加えてくる可能性はありますが。
なんとなくですが「規制さえしとけばなんとかなるやろw」という、安直な考えが透けて見えます。
そもそも、ゲームやスマホばかりする環境をつくったのは、外で遊べないように規制したせいではないんでしょうか?
遊ぶ音がうるさいからとか、公園の遊具でケガをしたら危険だとか、先を考えず今だけ見て、安易に規制してきたのも原因ではないんでしょうか?
この条例案は保護者にスマホやゲームを規制するよう求める方針になっているんですが、最終的な責任を「家庭」に押し付けるのは、ちょっと違うんじゃないの?と思っています。
子供たちの将来より、自分たちがどう感じるか?を最優先して、そのツケを子供に回しているだけですよね。
そんなつもりはなくとも、実際そうなっていますよ。
時代の変化を受け入れず、ただ自分の基準を押し付けているだけの内容ですね。
自分の頭で考える力のない人=変化についていけない人
最初の方で、変化するのは当たり前、と書きましたが、意外と理解されていないことが多いですよね。
そのせいなのか、時間の経過とともに物事が変わっていくのが、忌み嫌われているかのように感じることがあります。
でも、少し考えればわかる話ですよ。
良くも悪くも機械化が進み、労働にはAIやロボットが進出しているんです。
効率化はさらに進められるでしょうし、労働にしろ生活にしろ、人間にはより「人間らしさ」が求められていくだろうと(個人的には)考えています。
あなたがどう考えているかはわかりませんが、一つ言えるのは、自分の頭で考えていない人の方が圧倒的に多いです。
だから何も考えずに、安易にスマホやゲームを規制さえすれば、以前のように変化するだろう(戻っていくだろう)と思い込んでしまうんですよ。
が、それは見た目だけをどれだけ磨いても、性格や考え方を磨かない限り人間的な魅力につながらないことと大差ないと考えます。
結局は、先を見据えて自分で考えていかないと、考える力も身に付きませんし、変化にも対応していけません。
規制された側は必死で考えて、穴を探りますよ。
といっても、条例案に罰則がないわけですから、穴しかないわけですが。
穴=変化の道はいくらでもあるわけです。
変化についていけない人が、変化に対応できる人を押さえこめるとは思えません。
この条例案が「自分が嫌だから規制する」ものであると、理解している人もいるのかもしれません。
無意味さを知ってほしいですね。
あなたはどう思いますか?
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