詩恭です。
人それぞれ、いろいろな言葉を発して生きています。
例えば生活の中で。
例えばSNS上で。
様々な発言に対して、反応したりしなかったりしてますよね。
日々、十人十色の言葉があり、それに対し十人十色の反応があるのは当然だし、いいことだと思うんです。
ただ、私は感じるんですよ。
「他人の言葉に反応するのはいいけど、何も考えず鵜呑みにするのはよくない」と。
情報過多だから「参考にする」
インターネットは気になること、知りたいことを「いつでも、どこでも」調べることができます。
私も普段からよく利用していますし、実際とても助かっています。
ただ、情報があまりにも多すぎて、どれを「信用」していいかわからなくなることも多いですよね。
こういう場合、必要な姿勢は情報を「信じる」ことではなく、「参考にする」ことです。
もう少し言うと、たくさんある中からたった一つを選んで信じ込むのではなく、いくつかを選んで見比べて、最終的に自分で考えて決めることが必要です。
情報は結局「他人の言葉」です。
「他人の言葉」を取り出し、見比べて、最終的に「自分の言葉」に置き換えることがとても重要です。
嘘もごくごく普通にある
よく言われることですが、インターネット上には嘘も書いてあります。
しかも、いかにも真実かのように書かれている場合が多く、非常に頭を悩ませるところです。
2ちゃんねる開設者の西村博之氏も、有名な言葉を残しています。
嘘は嘘であると見抜ける人でないと(掲示板を)使うのは難しい。
個人的には掲示板だけでなく、インターネット上ならどんなことにも当てはまる言葉だと思っています。
では、どう見抜くのか?
やはり、上記のようにいくつかを見て、判断するしかないのだと思います。
鵜呑みにしてしまうのはなぜなのか?
自分にとって近しい人(家族や恋人、友達など)の言葉だから、と鵜呑みにしてしまうケースもあります。
でも、実際は(故意にしろ過失にしろ)近しい人の言葉が間違っている場合も十分あり得るわけです。
本来はそれを頭の片隅に置いた上で話を聞く必要があるんですが、感情や信頼が絡むと真実を見つけにくくなってしまうのではないでしょうか。
また、(自分にとって)耳触りの良い言葉を聞くと、鵜呑みにしてしまいがちになるように感じます。
例え耳触りは良くても、それが間違っている可能性だってあるわけです。
本当に嘘なのか?真実ではないのか?
そんなことを言いながらも、私も、以前は見知らぬ誰かの言葉を鵜呑みにしてしまっていました。
見知らぬ誰か、というよりは「常識」とか「風習」とか、そういう類のものですが。
インターネット上によくある【稼げる情報】だとか、ネットビジネスで稼いだらしい人の画像だとか、いろいろありますよね。
全部が全部、真実ではないのかもしれません。
でも、「真実ではない=嘘」と決めてかかる前に、まずはそこを疑うことも必要なのではないでしょうか?
つまり、「この人は真実を言っているのかもしれない」と。
もし、あなたが嘘だと思っていることが、本当は真実でかなり美味しい話だとしたら…あなたはどうしますか?
自分で考えなければ、真実にはたどり着けませんよ。
最後にもう一度、西村博之さんの言葉を紹介します。
本当に賢い人は、妙なレッテルが貼られているものでも食わず嫌いなことはせず、自らの目で確認して理解します。逆にバカな人というのは、貼られたレッテルをそのまま信じ、その情報を鵜呑みにします。どちらのほうが得られるものがあるかは、一目瞭然だと思うのです。
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