詩恭です。
年が明けてから個人的に重大な事件が2つ起きました。
一つは、2度(2日連続で)発熱したこと。
もう一つは、身内に不幸があったことです。
これらを通して感じたのは、「終わりは新しい何か始まり」ということでした。
発熱してつらかった
年末から体調を崩し、病院にも行かずだましだましやってきました。
年末年始はほとんど休まず働きどおしだったので、免疫力が低下していたんでしょう。
まず喉を完全にやられ、恐ろしい声になりました。
そして、その日の午後から何となく寒気があり、帰宅した時には37度後半の発熱。
とりあえずすぐ寝て、翌日には熱は下がっていたので、普通に出勤しました。
そして、その日も前日同様の症状が。
「またか」と思いつつ、意識ははっきりしていたので、清涼飲料水(水分補給用)やフルーツジュース(ビタミン補給用)、アイス(熱を下げる目的)、食べ物(薬を飲むため)を買い込んで帰宅。
測ってみたところ、38度前半の発熱。
さっそくジュースを飲んで食べ物をかきこんで、薬も飲んで寝ました。
翌日にはやはり熱は下がっていました。喉は回復しませんでしたが。
この2日間、久々に発熱し、動きたくても動けないつらさを感じました。
「健康の終わりは病の始まり」と、いうことを結構真面目に考えましたね。
そして回復した今、「病の終わりは健康の始まり」だと思ってます。
健康な身体はありがたい、としみじみ実感しています。
祖母の死
そして先週の中頃。実家から「祖母が亡くなった」と連絡がありました。
葬儀の日程も比較的すぐ決まり、週末、それに合わせて急遽帰省しました。
実に4、5年ぶりに家族と再会しましたが。
所用で実家に帰ってきた。
4、5年ぶりなんだけど、家族のうち特に男性陣が歳を取ったな、と感じた。
女性陣は?
あまり変わってない感じがした。
何故だ。
— 詩恭@お喜楽自遊なおもろいこと好きブロガー (@sikyou_kotokoto) January 20, 2019
これについてはまた、別に書くとして。
バタバタとお通夜・告別式と進んでいきました。
移動の疲れもあってか、途中で何度も眠くなりましたが、祖母を送る気持ちで何とか乗り切った感じです。
感想としては、私自身、もっと泣くかなあと思っていたんですが、結構冷静でいられたのが驚きでしたね。
出棺の時は若干ウルウルしましたけど、その程度で済みました。
私にとって、祖父母は育ての親です。
両親は共働きだったので、日中は祖父母に面倒をみてもらっていました。
叱る時は叱り、共感するところは共感してくれていた記憶があります。
年齢とともに「いずれ必ずくるもの」として、覚悟する気はなくとも覚悟できていたのかもしれません。
別れは終わりではない
死という形ではなくとも、【別れ】は誰にでも必ず訪れます。
例えば、卒業や異動、退職も別れですよね。
一見、終わりではあるんですが、私は終わりではないと感じています。
なぜなら、【終わりは、新しい何かの始まり】だからです。
私が実家を出るまで、家族は7人(祖父母、両親、私、弟、妹)でしたが、実家を出た後は6人となり、私がいない生活が始まりました。
私自身は家族と離れ、家族一緒の生活が終わり、一人での生活がスタートしました。
そして今回、祖母が亡くなって家族は5人になり、少し違った生活がスタートしました。
私は一人のままですが、何も変わらないわけではない、と思っています(まだわかりませんが)。
そう考えると、別れは決して悲しいものではないのかもしれませんね。
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