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「自分が何者かは自分で決める」映画『ボヘミアンラプソディ』が教えてくれたこと

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詩恭です。
私、話題になった映画『ボヘミアンラプソディ』を2回観ています。

最初は普通の字幕版、2回めは【応援上映】でした。
本当にどちらも感動しました(´;ω;`)

そして振り返ると、感動したポイントは
「【自分は何者なのか】【自分がどうありたいのか】に悩み、決断し、その通りに行動した」
ところでした。

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時代は違っても悩みの本質は変わらない

『ボヘミアンラプソディ』は、いまや伝説的バンド「QUEEN」の亡きボーカリスト、フレディ・マーキュリーの生き様を描いた作品です。

バンド自体は成功しながらも、フレディ自身は孤独を感じていました。

それは【自分が何者なのか】がわからずにいたからです。

映画内でも触れられていますが、彼は保守的な考えの父と折り合いが悪く、改名までして思うように生きる決断をします。

愛する女性とは婚約まで至るものの、徐々に自分がゲイだという自覚を持っていき、(彼には)見えない距離もできていきます。

密度の濃い時間を過ごしてきたはずのバンドのメンバーに「バンドは家族」と言われても、実際に家庭を築き帰れる場所がある君たちとは違う!と言い放ち、溝をつくってしまいます。

【自分は何者なのか】【自分はどうありたいのか】
形こそ違えど、現代の私たちにも通じる悩みですよね。
一見、成功者と思える人でさえ、悩み苦しんでいるんですから、私たちが悩まないわけがありません。

共感されれば悩まなかった?

またフレディの悩み、そして現代の私たちの悩みに共通していることがあると思いました。

【共感してくれる人がいるかどうか】ということです。
悩みに対しての一番の薬は【共感】ではないかと思います。

特にLGBTについては、私自身も詳しく知っているわけではありません。
ですが、現代であれば同じような境遇の方々に共感され、受け入れられたのではないでしょうか?

もしそうであったならば、孤独を感じることもなかったのかもしれません。
楽曲にも何らかの影響があった可能性もありますが、これ以上は「たられば」になってしまいますね(^_^;)

自分は何者にもなれる

紆余曲折をへて「ライブエイド」への出演(1985年に実際に開催されたチャリティイベント)が決まり、練習を重ねる中、フレディはバンドのメンバーに重大な告白をします。
その最中に出てきたのが、このセリフ。

「自分が何者かは自分で決める」

自らのアイデンティティに対する葛藤にピリオドを打ち、【自分は何者にもなれる】【ありたい自分になる】と決断した、潔いセリフだと思います。
かっこいいですね!

実は、この後にフレディがどうなりたいと決めたのか、語られるんですが…気になる方は実際に映像でご覧ください!

決断し行動すれば、なりたい自分になれる。
それを教えてくれた尊い映画『ボヘミアンラプソディ』に感謝の気持ちでいっぱいです。

コメント

  1. […] […]

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