詩恭(しきょう)です。
『テラスハウス』の出演者である木村花さんが、ある回を境にネット上の誹謗中傷を受け続け、先日ついに亡くなってしまいました。
以降、特にネットの世界では誹謗中傷に対してかなりの盛り上がりを見せ、ついには国も動きそうです。
できれば人が亡くなることなく、適切な対応を取ってほしかったものですが…
さて、ネット上、あるいはリアルの場でも、誹謗中傷を浴びせる人は存在しますが、私はこういう人は「ヒマで寂しい人」だと考えています。
そして、この先もそんな人は消えることはないとも。
今回はなぜそう思うのか、ではどう対応するのか、についてお伝えしていきます。
この記事は
ネット上で、あるいは職場などリアルな場で、いままさにいじめや嫌がらせに悩んでいるあなた
にお送りします。
元いじめられっ子視点がかなり入るので、ストレートな表現も多々あります。
キツいと感じたら閉じてください。
誹謗中傷はいじめと同じ
誹謗中傷そのものはかなり昔からありました。
主に対象者の出演する番組を放送していたテレビ局に、「抗議」や「意見」という形で、さまざまな内容(=クレーム)が送られていたわけです。
もちろん、中には悪意のこもったものもあったでしょう。
現代でもテレビ局へのクレームはありますが、SNSの普及により、対象者本人に直接クレームをつけられるようになりました。
しかも誰でも気軽に、思いついた瞬間に。かなり厄介な話ですよね。
誹謗中傷もいじめも「娯楽」のひとつ?
私はSNSでの誹謗中傷はまるで小学生のいじめのようだ、と考えています。
というのも、誹謗中傷もいじめも「娯楽」としてとらえているように感じるからです。
そう考える根拠として、いじめと誹謗中傷にも、けっこう共通点があるのでは?と考えました。
元いじめられっ子という視点も含め、共通点をあげてみます。
いじめと誹謗中傷の共通点
- ターゲットはひとり
- 表面的な理由はさまざまだが、本質的な理由は「自分(加害者側)が不愉快だから」
- きっかけはささいなことが多い
- 最初は小さな嫌がらせだが、じょじょに頻度や内容がエスカレートする
- 被害者側がなにかしら反応すると内容がエスカレートする
- 親しい人に相談しても無意味なことが多い
- かなり思い切ったことをしないと本当の解決に至らない
この本質的な理由(2行め)がかなり重要です。
もちろん、不愉快にするようなことをしてしまったのなら、怒りを感じるのも理解できます。
ただ、この場合は加害者は被害者、被害者は加害者なのですが、その構造がいつの間にか逆転してしまうわけです。
誹謗中傷は今後もなくならない
ご存じのとおり、ようやくSNS上の誹謗中傷に対応できるよう、現状の制度改正を検討するべく政府が動き出しました。検討ではなくなるはやでお願いします
歓迎できる動きではありますが、私はそれでも誹謗中傷はなくならないと考えています。
それには3つの理由があります。
「ヒマで寂しい人」は今後、さらに増える
誹謗中傷は、そもそもウサ晴らしでやっていることが多いんですよ。
日頃のストレスや、嫌なことがあったりしてイライラした気持ちを、なにかにぶつけて発散する。
あなたもそんな経験はあるのではないでしょうか?
たとえば趣味や好きななにかに打ち込んで、発散しようとしたことはありませんか?
そういう発散できるなにかを持ってないため、個人的なストレスを見知らぬ他人(しかも、反撃されるかも、とも考えていない)にぶつけてしまう人が確実に存在しています。
私が先にお伝えした「ヒマで寂しい人」はこういう人です。
普段からあまりにも忙しすぎて疲れていて、趣味や好きなことを探すことができない、というのも理由といえるでしょう。
そしていま、働き方も大きく変化しているところです。
仕事のやり方や時間、求められるものも当然変化していくので、そこに対応できない人はヒマになっていきます。
ヒマでも趣味や副業など、集中できることがあるのなら問題ありませんが、やることもなくただ時間を持て余すだけなら…ストレス発散のために誹謗中傷に走る人はもっと増えますよね。
明確に悪意を持って誹謗中傷する人も、さらに増えていくでしょう。
やる側は、やられる側の気持ちは9割9分想像できない
「やられる側の気持ちになって考えて」という人もいますよね。
他人の立場になって考えるのは確かに大切なんですが、重大すぎる盲点があります。
それは、やられる側の気持ちは、やる側はまるで想像できない、ということです。
もう少し具体的にいうと、やる側は、自分が加害者だとは微塵も考えておらず、やられる側が傷つくとか、悲しい気持ちになるとか、やられる側に反撃されるとかの想像力はいっさい持ち合わせていません。
逆にいえば、想像力がないからこそ、誹謗中傷をぶつけられるんです。
ただ「やられる側の気持ちになって考えて」という言葉が、すべてムダとは思いません。
なんらかの理由でやる側がやられる側になった時に、その言葉を実感するでしょうから。
明らかな誹謗中傷でも、意見や批判として受け取ることも
ひとつの言葉をどう受け取るか?はかなり難しい問題です。
こちらがポジティブな言葉を発したとしても、受け手のその時の気持ち次第ではネガティブに受け取られることもあるわけですから。
「そんなつもりじゃなかった」というのもよくある話ですよね。
“誹謗中傷” “意見” “批判”の違いはかなりあいまいなものです。
第三者から見たら明らかな誹謗中傷でも、当の受け手が意見や批判として受け取っている可能性もありますし。
仮に第三者が「それ誹謗中傷!ディスられてるよ!」と当人に言ったとしても、受け手の考えが変わらなければ意味がありません。
少々キツイですが、受け手も一度冷静になって、「この発言はどうなのか?」と考えてみる必要があります。
ちなみに、誹謗中傷と意見と批判の違いについて、私の考えを追記してみます。
- 誹謗中傷…論理的な部分はほぼなく、感情しか入っていない(例:お前ムカつくんだよ)
- 意見…感情は多少入りつつも、冷静に論理的に自分の考えを発言している(例:私はここまでの内容について、ちょっと長いけどおおむね良いと思う)
- 批判…内容を分析し、感情を入れずに良い点や悪い点を論理的に指摘する(例:1の案はコンセプトに沿っているけど、予算の見積もりが甘いのではないか)
誹謗中傷は「気にしない」ではすまなくなっている
スルースキル、という言葉があります。
嫌なことを受け流す能力といわれていますが、それが高くないから心を痛めるんだ、とあなたは感じているかもしれません。
ですが、高くなくて当たり前ですよ。
そもそも嫌なことをまったく気にしない、他人をまったく気にしない人間なんて、存在しませんから。
どんな有名人でも、誹謗中傷は嫌になりますし、参ってしまうもの。
が、先日、日本人メジャーリーガーが誹謗中傷対策としてこんなツイートをしていました。
一見するとTwitterでしか効果がなさそうですが、これはリアルの世界でも使えます。
反応がないと相手は去ると言われても、心は傷つきますから、どうせなら何かしら反応した上で撃退する方が心も健康になれるのではないでしょうか?
もしあなたの立場的に撃退が難しいなら、環境を変えるか、場合によっては法的措置も視野に入れ、行動していきましょう。
客観的な誹謗中傷の基準を持つ
先にお伝えしたとおり、第三者からみれば明らかな誹謗中傷でも、当の本人が意見や批判と受け取っているために苦しんでいることもあります。
そこで必要なのは、客観的な視点を持つことです。
第三者に言われてやっと気付いた、でも構いません。
それ以降はなんとなくでも、誹謗中傷かそうでないかを判断できるはずですよ。
判断したあとはそれが届かないようにする工夫こそ必要ですが、だいぶ心が軽くなります。
人間である以上、他を気にしないのは至難の業なので、客観的な視点を持って冷静に判断し、対処していくことが重要になります。
少しでもあなたの考えの参考になれば幸いです。
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