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弱音を「吐かない」より、「吐けない」方がつらい

メンタルヘルス
この記事は約3分で読めます。

誰しも、何かつらいことがあると、ふと愚痴を言いたくなったり、弱音を吐きたくなることがありますよね。

そこで出そうになった言葉を、時としてぐっとのみこんでしまうこともよくあります。

ここで大切なのは、「なぜのみこんでしまったか」です。

弱音を吐かない理由、それは そもそも「吐けない」からではないでしょうか?

 

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つらいのに空気を読む必要はあるのか?

 

誰でも、状況に応じて対応を考えたり、相手の出方を見たりすることがありますよね。
それ自体はもちろん必要なことですが、それは図らずも 「場の空気を読む」ことにつながります。

個人的には「場の空気を読む」のはろくなことがないと感じてます(一方でそうはいかないことも承知の上です)。

「場の空気を読む」ことは、人によってはストレスの元にもなるのではないでしょうか。
そしてストレスは体調を崩すきっかけにもなるわけで。

体調を崩してしまうくらいつらいのに、それでも「場の空気を読む」必要は本当にあるんでしょうか?
つらくてもそれを言えない環境なのだとしたら、むしろ環境に問題があるのではないでしょうか?

 

口に出せば楽になる

私も実はいまだに不得意なんですが、弱音は吐いてしまった方が楽になるのではないか、と考えるようになりました。
きっかけはたまたま見つけた言葉に感銘を受けたからです。

それがこちら、直木賞作家・志茂田景樹さんの過去ツイート↓

私は【弱音を吐くこと=人に弱みを見せること=人につけこまれる】という変な方程式を感じていました。
要は他人を信じていなかったんですね。

ですが、弱音を吐かないことで自分にストレスを与えてしまっていたことに気付きました。
そして同時に、自分に上記の暗示をかけて弱音を吐けなくしていたことにも気付いて愕然としました。

その後、まずは一人でこっそりと「つらい」「疲れた」等をつぶやくことから始めました。
ある程度言いやすくなってからは、信頼できる人には少しずつ口にするようにしています。
いまだに「心配をかけたくない」等々の気持ちは残っていますが、口に出すことで楽になる感覚がわかったと思っています。

自分の気持ちを表現すること。
私も決して得意ではありませんが、可能な限り口に出してみた方がいいです。
その方が、自分も楽になりますから。

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