人間の三大欲求=食欲・睡眠欲・性欲。
これらは人間が動物だという証拠で、誰にでもあるものです。
ただ、それら以外にも欲はありますよね。
「あれが欲しい」とか、「ここに行きたい」とか。
「◯◯したい」という気持ちは、決して悪いことではないです。
でも、何らかの理由でその気持ちを無理やり抑えつけたり、見ないふりをしていたりすると、後々大変なことになるかもしれません。
私みたいに。
欲はあって当たり前
内容はどうあれ、欲は人間として当たり前のものです。
ただ、人間社会には、欲を出しても良い(と思われる)時と、あまり良くない時が存在していますよね。
それ自体はマナーの問題であり、タイミングなどは生活しながら理解し身につけていくものだと思います。
ですが、それを何かのきっかけで勘違いしてしまうこともあります。
その場で気付く、あるいはなるべく早く気付いて修正できればいいのですが、下手をするとかなりの時間が経ってしまい、修正が難しくなってしまうこともあるんです。
実は私自身が、勘違いから「こじらせて」しまい、修正しながら生きている状況にあります。
子供なのに我慢していたら
私は3人きょうだいの長女として生まれました。
きょうだいの順は、私、弟、妹。弟とは2歳差、妹とは5歳差があります。
私は常に両親や祖父母から言葉をかけられていました。
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」
「お姉ちゃんなんだから譲ってあげなさい」
「お姉ちゃんなんだから~」
今だからわかりますが、おそらく、世の長男・長女はたいていそんなことを言われていると思われます。
ですが、幼い私はその言葉に従うことが自分の大切な使命であると錯覚してしまったわけです。
(物理的に)遠い親戚の家に行くのも、弟と妹が先でした(私が実際に行ったのは10代後半でした)。
おもちゃや服を買ってもらうのも、弟と妹が優先でした(服は、私はなぜか親戚のお下がりを着ていました)。
そんな現実を過ごしているうちに、リアルタイムでは気付きませんでしたが、徐々に私の心が変化していきました。
確実に言えるのは
・「お姉ちゃん」である私がどんなことも我慢すれば皆はハッピーになる。
・欲しいものも、ずっと我慢していればいずれ欲しくなくなるから、それまで我慢していればいい。
・この世で私の気持ちは無くて当たり前だし、私が優先されないのは当たり前なのだ。
と、年齢ひと桁の頃から考えていた、ということです。
私は子供の頃から勘違いし、歪んだ状態の修正も特にしない(できない)まま、大人になってしまいました。
上記3つのうち、特に最後は思った以上に深刻で、【人に対し、自分の気持ちや欲求を伝えられない】、【自分を人形かのように扱ってしまう】という形で、今なお私に悪い影響を及ぼしています。
と言っても、ようやく修正されつつあるかもしれません。
適度がベスト?
したいことはどんなことでも可能な限りやった方がいいですし、欲しいものも可能な限り手に入れた方がいいです。
経験上、我慢は必要な場合もあるんでしょうが、歪むくらいならしない方が絶対にいいです。
適度に、欲は表に出した方がいい。
これは確実に言えますね。
今の私は、自分に正直になれることが幸せだと感じています。
最終的に自分の欲を満たせるのは、自分だけです。
自分の幸せに敏感になって、楽しく生きていきましょう。
思い込みが激しいのは困りものだけど、自分にプラスになる思い込みならいくらしてもいいと思う。
たとえば「自分は幸せになる」とか「好きなことして生きる」とか。
プラスの思い込みは人生に必要だ。
— 詩恭@人生再生中アラフォーブロガー (@sikyou_kotokoto) 2018年8月3日
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