詩恭です。
人に認められたいとか、自分を見てほしい、という気持ちは多かれ少なかれ人間誰にでもあるものです。
ただ、それが過剰になると、生きにくくなってしまうと思うんですよ。
なぜなら、あなたは他人を気にしているかもしれませんが、他人はあなたのことなんてまず気にしてないからです。
承認欲求そのものは悪いものではない
先にお伝えした通り、承認欲求自体は誰にでもあるものです。
それこそ子供からお年寄りまで、どんな人にでも。
なので悪いものではまったくないのですが、個人差があるので、強すぎるとかなりやっかいになると感じるんです。
承認欲求が誰にでもあると言えるのはなぜ?
では、なぜ承認欲求は誰にでもあると言い切れるのか?
下の図を見てください。
全部英語ですみません。
承認欲求を語るうえで、最も有名なこのピラミッド型。
心理学者マズローが提唱した「人間の基本的欲求」です。
マズローは「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求をの5段階の階層で理論化しました。それを図にしたものが上のピラミッドです。
上から順に
- 自己実現の欲求(Self-actualization)…道徳、創造性、問題解決、事実の受け入れなど
- 承認(尊重)欲求(Esteem)…自尊心、自信、達成感、他人を尊敬する、他人に尊敬されるなど
- 所属と愛の欲求 (Love/belonging) …友情、家族など
- 安全の欲求 (Safety) …体の安全、雇用の安全、健康の安全など
- 生理的欲求 (Physiological) …衣食住の欲求(人間の三大欲求もここ)
という意味で、上に行くほど高次の欲求となっています。
高次ということは、お察しかと思いますが満たすのもそう簡単ではないわけで…
ただ、この図で表現されている欲求は、程度の差はあっても人間なら誰でも持っているものだということは、わかると思います。
承認されているのはあなた自身ではないのかも?
他人に認められたい気持ちがあるのは仕方ないんですが、重要なのは何を持って【認めた】とするかですよね。
例えばテストで100点を取ったとか、営業成績がトップだったとか、ある程度わかりやすいものなら人が認められやすいと思います。
が、承認されるのが人ではなくモノである場合もあります。
例えば、頼まれていた仕事を期限までに終わらせたり、エクセルで作表したりなど、求められていることをやっただけで【私を認められた】とするものでしょうか?
個人的には、認められたのはあなた自身ではなく、あなたがつくったモノや成果ではないかと考えます。
むしろ、そちらの方が期待されていることすら…ありますよね。
特に誰にでもできる仕事であるならば、それは顕著に表れると思います。
他人からの承認より、自分で自分を承認する
他人から承認されることは決して容易ではありません。
何せ他人はあなたを気にしていないのですから。
他人に認められたい気持ち、自分を優遇してほしい気持ち。
それらが強いがために変に目立とうとする人、あなたの周りにもいませんか?
いえ、むしろ、あなた自身がそうだったりしませんか?
そうなるのもある意味では仕方ないのかもしれませんが、ここで一つ残念なお知らせがあります。
何かをして注目を浴びたその時、あなたの承認欲求は満たされるかもしれません。
ですがその一瞬だけ。
すぐにあなたは【その他大勢】の中に紛れてしまい、気にかけられなくなってしまうんです。
それでも承認欲求を満たしたいと思うならば、難しくはありますが自分で自分を承認しましょう。
上の図で言うなら2段目の自尊心が近いかと思います。
他人から見た自分も大切ですが、自分から見た自分はどうか?
コレはさらに重要です。
自分を誇りに思い、受け入れて承認していくことができれば、他人からの承認は必要なくなります。
自分を生きやすく導くのは自分自身しかいません。
承認されることを過剰に望まず、承認して自分を解放していきましょう。
コメント
[…] 他人からの承認を望むより、自分自身を承認していくと生きやすくなるよ […]