詩恭です。
突然ですが、あなたは「いじめ」に関わった経験はありますか?
私は小学生の時にいじめられていました。
いろいろ抵抗はしてましたけどね。
それから時は流れ、大人になってずいぶん経ってから、その時のことが自分に影響していたと気付きました。
「私はいじめられていたから人より劣っていて当たり前なんだ」
我ながらひどい考え方ですが、こんなのに30年くらい縛られていたんですよ。
しかも、そのことにまったく気付かずに。
いじめられたことを正当化していた
陰湿ないじめではなかったんですが、かなり時間が経った現在でも覚えているんですから、とんでもなく傷ついたんでしょうね。
ですが、傷ついていた自覚は実はあまりなかったんです。
私の中では「いじめられた」事実のみがクローズアップされていました。
いじめの理由は確か「周りと何か違う」とか「気に入らない」とか、そんな感じだったかと思います。
よくあるといえばよくある話ですが、長い年月の末、私の中でいじめの理由はかなり歪んでしまっていました。
それが“周りより劣っている”だったんです。
そんな理由にすり替えて、私の中でいじめられたことを正当化していたんですよね。
いじめ正当化の結果、気付かないままネガティブ思考に
無意味な正当化を続けた結果、物事が何か悪い結果になったり、損をした時に、私の頭の中ではこんな声がするようになりました。
「いじめられるくらい人より劣ってるんだから当たり前よね」
しかも、そんな声がしていることをなんとも思っていません。
ごくごく普通に受け止めていました。
いま冷静に考えると、自分にとって悪い結果になる方を当たり前に選んでいったんだと思います。
そして自然にネガティブ思考へ。
物事をなんでも悲観的にとらえ、すべての責任が自分にあるかのように考えるようになりました。
小さな失敗でもこの世の終わりくらいに感じていましたし、その後声をかけられても「本心からそう思っているわけではない」と固く信じていました。
それもこれもすべて、あの声によって肯定され、コンクリートの壁のように固い気持ちをつくり上げていったんです。
「いじめられるくらい自分が劣っているからこうなるんだ」
「いじめられるくらい自分が劣っているから失敗した」
「いいよなんて言ってるけど、いじめられるくらい自分は劣っているから内心では笑われているんだ」
思考は現実化する。悪い意味でも現実化するのだと、振り返って感じます。
2年ほど前にいじめの洗脳がやっと解ける
心の病等、紆余曲折を経て5年ほど前から「やりたいことは全部やる!」と決めて生きてきました。
ただ、その時でもまだ「劣っている」という気持ちは心の片隅に残っており、ポジティブな言葉を口にしつつも、内面ではまだネガティブさもありました。
が、矛盾したものを抱えつつも生活し、働いていくうちに、仕事のスピードやこなす量をたまたま見ていた人に褒められたり、言われたことにすぐ対応して「助かった!」と声をかけられたりする機会があり、「何か違う」と思い始めてきたんです。
「私は劣っているはずなのに」と。
そして周りで同じ仕事をしている人を見ていると、私がわりと簡単にやったことに苦戦している姿がありました。
その時にぼんやりと思ったんですよね。
「もしかして私って劣ってないんじゃない?」
あとはかなり早かったです。
失敗をしても自分だけが100パーセント悪いとは考えなくなりましたし、報告しても言葉を受け止められるようになりました。
おおよそ1年ほどかけて、コンクリートの壁を内側から崩壊させた時、やっと、実に30年越しの洗脳に気付きました。
「いじめられたから劣っている」を言い訳にしていた
振り返ると、自分自身を洗脳する、いわば自己洗脳の状態に陥ってきたのは、その状態が楽だったから、という部分もあったと思います。
何か壁にぶつかると、「いじめられたから劣っている、だから越えられないのは仕方ない」と、自分に言い訳して何もしない。
それを良しとしていたんですよね。
冷静になるとそれとこれとは関係ないのはわかりますが、当時はおそらく自分に都合良く考えたかったんでしょう。
我ながらあきれた話です。
過去は現在に影響を与えるものではありますが、未来にいたるまでずっと現在の状態が続くわけではありません。
仮にもし続いているとすれば、現在ではなく過去を生きているんです。
もう2020年なのに、以前の私のようにいまだに1980年代の時間軸にいるようなものですよ。
時代の流れは、考えている以上に速いです。
あなたがもし、以前の私のように過去を生きている状態であるならば、一刻も早く抜け出して、現代を見つめて流れに乗っていきましょう。
その方が、人生はずっと面白く、カラフルに彩られますよ。
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