詩恭(しきょう)です。
毎日のように感染者が増加し、有名人やアスリートにもかなり波及しているコロナウィルス。
感染者の大半が無症状、陽性でも軽症という状況ではありますが、油断はできませんよね。
とはいえ、さすがにそろそろ飽きてきた感はあるのですが……。(←本音)
さて、コロナウィルスがもたらしたのはウィルスという“見えない恐怖”だけではありません。
普段発信しないため、よくわからなかった人の考え方をあぶり出すという“可視化された恐怖”をももたらしました。
改めて、正義の反対は悪ではなく、別の正義なのだ、と感じた次第です。
今回はコロナウィルスがもたらした人の考え方について、改めて私なりの意見をお伝えします。
この記事は
・あの人の考え方は間違ってる!と思う人が身近にいるあなた
・いわゆる自粛警察やマスク警察に遭遇したことがあるあなた
・正義の反対は悪だと考えているあなた
にお送りします。
人の考え方は変えられない。しかし、人の考え方を変えるのもまた人。
「人の考えは変えられない」と、あなたも聞いたことがありますよね。
コレはまったくもってそのとおりです。
こちらがどれだけ相手のことを考えて言葉をかけても、また何かをしてあげても、相手の心や考え方には影響しません。
なぜなら、心や考え方はその人のものであり、他人が所有できるものではないからです。
あなたもそうですよね?
あなたの考え方も、あなた自身のものだと断言できるはずです。
あんな意見もこんな行動も、自分で考えた結果ですか?
たとえばコロナウィルスが流行しはじめた頃、自粛要請に従って家に引きこもっていた人もいれば、外を出歩いていた人もいましたよね。
どちらも要請を受けた後、自分なりに考えての行動です。
その行動自体はどうにもできませんが、その後、コロナウィルス対応ですったもんだがありました。
ありすぎてあえて書きませんがw
そこでもあれこれ言う人たちがいましたが、それって本当に自分で考えたの?という疑問がありました。
専門家やインフルエンサーの主張や意見、見解を聞くのはいいのですが、それを自分の意見にすり替えてはいませんか? 良い印象に惑わされてはいませんか?と、いまでも考えるんですよ。
ハロー効果に惑わされない
あなたはハロー効果をご存じでしょうか?
“あるものを評価する時に、それが持つわかりやすく目立つ特徴につられて、他の特徴への評価が大きく変わってしまう”という現象のことです。
たとえば、あなたが好印象を持つ人が使っていると良いものだと思うけれど、あまりいい印象でない人が使っているとなんだか粗悪なものだと感じたことはありませんか?
仮に同じものを使っていたとしてもです。
それがハロー効果です(ちなみにハローは『後光』や『光輪』という意味があります)。
もちろん見た目や立ち居ふるまいでも印象操作は可能ですが、ココに引きずられて、間違った内容でも合っていると信じ込んでしまうケースがあります。
テレビはコレをうまく利用している感がありますよね。
この有名人がこう言っているんだから間違ってないと、印象づけているんです。
でも、よく調べたら違っていたり、現状と少しズレていた、なんてこともよくある話です。
実際はあなたが考えて判断するしかないんですけどね。
人の考えは変えられません。それはどうしようもないことです。
ですがあなたの意見や行動は、本当に自分の考えからきていますか?
自分の都合の良い考えを持つ人の印象に惑わされ、間違った内容を信じ込んではいないか、一度考えてみる必要がありますよ。
正義への考え方はみんな持っている
正義は誰の心の中にも存在します。
ただし、その形はひとつではありません。
何が正義なのかは人によって違うんです。
人に対して誠実であることを正義とする人もいれば、他人をぞんざいに扱うことを正義とする人もいます。
だからこそ人が一番怖く、厄介なんですよね。
正義はあちこちに存在している
こんな歌詞もあります。
人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の「正義」がきっと彼を傷付けていたんだね
SEKAI NO OWARI 『Dragon Night』https://www.uta-net.com/movie/171944/
先にお伝えしたとおり、正義の対極にあるのは悪ではありません。別の正義です。
自粛警察の正義は【こんな世の中だから出歩いたり店を開けたりするのは迷惑でしかない】であり、マスク警察の正義は【マスクして感染しないように努めるのが正しい】です。
それも特に間違いではありません。
が、正義を振りかざすことで人を傷つけることになる、という観点がスッポリ抜け落ちてしまっています。
どんなことでも、押しつけられればイヤになってしまいますよね。
たとえ考えのもとは一緒であっても、あなたの正義が他人と同じとは限りません。
正義とはその人の判断基準や行動基準です。
なくしてはいけないものではありますが、正しいと信じ込むものでもありません。
大義名分にのっとって考え方を変えるのは楽
自粛警察にしろ、マスク警察にしろ、コロナウィルスという立派な大義名分があるからこそ発生したんですよね。
自粛しろって言ってるやん!コロナうつしたいのか!やめるのが正義!
マスクしろって言ってるやん!コロナうつしたいのか!つけるのが正義!
ものすごく単純に言語化するとこんな感じでしょうか。
正解か否かはさておき、何か大義名分があると、そこに自分の考えを染めてしまうのはとても楽です。
なにせ頭を使わなくていいので。
コロナウィルスの場合は、見えない恐怖と戦うよりわかりやすく見える人間と戦って勝った(つもりになる)方が楽なんです。
だからこそ自粛警察やマスク警察なんて人がいたわけですよ。警察側がコロナの可能性もあるんですけどね
テレワークも同じです。
コロナウィルスという大義名分があってやってみた結果、これまで可視化されていなかった人の性質や会社の体制もハッキリと見えてきました。
もとに戻りたい!という理由もさまざまありますが、本当はただ楽がしたいだけともいえますよね。
信念もないのに大義名分だけで突っ走っても、あまり意味はありません。
正義はその人の判断基準や行動基準なので、なくしていいものではありません。
自粛警察やマスク警察も、大義名分にのっとり自らの正義に従って行動していたわけですが、相手が傷つくという観点が抜け落ちていました。
その方が頭を使わなくていいし楽ではあるんですが、信念がないのでは意味がありません。
コロナへの考え方も人それぞれ
考え方はひとりひとりにあるべきもの。
コロナウィルスに正しい対応を!といっても、そもそも自分の考えがないと難しいものです。
コロナウィルスの過剰なまでのあおり報道もありましたが、「テレビの報道、もしかしてわりと間違ってない?」と気付きはじめる人が増えてきたいま、「何を信じるか」よりも「情報を受けたうえでどう考えるか」を重要視すべきでしょう。
コロナウィルスへの考え方も、いろいろあっていいんです。
暑い時期なので外ではマスクはしないけれど、建物の中に入る時はマナーも兼ねてマスクを付けるとか(マスクを付けないと中に入れない場合もありますし)。
屋外、屋内関係なく、どこでもマスクはした方がいいとか。
肝心なのは、その考え方を押し付けないことです。
「私はこう思うけど、あなたはどう思いますか?」がナチュラルにできれば、世の中のギスギス感はかなり減るんじゃないかと…
そろそろ(というかやっと)そんな雰囲気が出てきた
これからの時代は、頭を使わないと生き残れません。
先にお伝えしたとおり、情報を鵜呑みにするのではなく、情報をいったん受けて自分の頭で考える、というふうにしないと何もできなくなります。
そのことにそろそろ(というよりやっと)気付きはじめた人が増えてきています。
若い世代ほどさらに増えていくと私は予測していますが、あなたもいまからでも遅くはありません。
たくさんの考え方に触れ、あなたの考えを持ちましょう。
コロナウィルスにしてもそうです。
一方的な情報を鵜呑みにするのではなく、さまざまなメディアの情報を比較して、自分で考えて判断できないと、予防していたつもりでもまったく意味がなかった、なんてことになりかねません。
いったん収束する、というよりは一度下火になっても、冬が近付くとインフルエンザと同様にまた流行する可能性が高いので、そのための準備をいまから行いましょう。
もちろん人に惑わされず、あなたの考えを持って。
この記事が、あなたのお役に立てれば幸いです。
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