詩恭(しきょう)です。
「時間がない」とか「あー暇だなー」などと、時間についてなにげなく口にしているコト、ありますよね?
私もそうなんですが、そういう時は【時間】について強く意識してはいないもの。
なにせ、明日も明後日も、生きているのが当たり前だ、と無意識のうちに感じているんですから。
が、もし自分に与えられた時間がほとんどない、とわかってしまったら、あなたはどうしますか?
今回は『もしも一年後、この世にいないとしたら。』の紹介と、人生の締め切りを意識するコトについてお伝えしていきます。
この記事は
・人生の終わりなんて意識したことない、というあなた
・最近、家族や友人など、身近な人を亡くしてしまったあなた
・がんなど重い病気にかかったことがあるあなた
にお送りします。
人生の締め切りは誰にでもある、でも意識していない
『もしも一年後、この世にいないとしたら。』作者の清水研さんは、国立がん研究センター中央病院・精神腫瘍科の所長を務めています。
「精神腫瘍科?ナニソレ?」と思われるかもしれませんね。かくいう私も「ナニソレ?」だったので調べてみました。
あまり聞いたことがないと思う方も多いと思われますが、「精神腫瘍科」という診療科はがんの告知が一般的になった1970年代ごろから発展してきた比較的新しい分野です。
国立がん研究センター東病院 精神腫瘍科 Webサイトより
一言でいえば、患者さんやその家族の心のケアをして、つらさを和らげるサポートをするのが目的となります。
病気は程度の差に関係なく、どんなものでもつらいものなので、こういった方々がいるのはありがたいですよね。
清水さんは本の冒頭でこのようにおっしゃっています。
現在、医療の進歩により人は長生きするようになり、「人生100年時代」や「アンチエイジング」という言葉がよく聞かれるようになりました。
人が長生きするようになったこと自体はもちろん喜ばしいことなのですが、一方で弊害もあるような気がします。
誤解を恐れずに言えば、それは、人々が日々を粗末にしてしまうということです。
多くの人にとって、「死」はいつか自分に訪れるということは頭ではわかっていても、実感はしていないのかもしれません。
自分の「死」はまだまだ考える必要のないことで、今日と同じような明日や明後日が当然のようにやってくる。
そして、自分の人生は10年、20年、30年とまだまだ続いていくと思いながら、日々過ごしています。
『もしも一年後、この世にいないとしたら。』はじめに――大切なことを先延ばしにしていませんか
世の中の99.9パーセントの人が、上記のように考えているはずです。
あなたもそうですよね? 私もそうでした。
そしてこの言葉も、余命宣告を受けたがん患者やその家族をたくさん見てきた清水さんが言うからこそ、重みがありますよね。
『もしも一年後、この世にいないとしたら。』の中では、実際にがん患者やその家族に接して学んだ内容が書かれています。
死という人生の締め切りを突き付けられ、人は何を考え、どう動くものなのか?
そしてそれを見守る人たちはどう感じていたのか?
あなたが健康体であっても、触れておくべき内容です。
なぜなら、どんな人にも必ず人生の締め切り=人生の終わりは訪れるんですから。
多くの人にとって、人生の締め切りは明確ではありません。
それが見えてしまった時、人は何を思うのか、寄り添う人たちはどう感じるのか。
医師だけの目線ではなく、いち人間としての目線も感じ取れます。
【体験談】人生の終わりに早いも遅いもない
私事になりますが、先日父が亡くなりました。
享年66歳。現代では早すぎると言われる年齢には違いないでしょう。
1年以上前から入院していたので、いつかは…という覚悟はあったのですが、個人的にも早いなと感じています。
祖母が亡くなってもう少しで3年になるんですが、その時の喪主が父でした。
当時はこんなふうになるとは少しも思ってもいませんでしたね。
近年で2度、身内の葬儀に参加し、私が感じたのが【人生の終わりに早いも遅いもない】というコトでした。
終わりは来るべくして来るんです。その人の意志が関わるケースもあるとはいえ。
先にお伝えしたとおり、あなたも私も、普段は人生の終わり=人生の締め切りなんて意識すらしないですよね。
むしろ死ぬなんてまだまだ先の話だ…くらいに考えているかもしれません。
過剰な飲酒や喫煙、労働など自ら終わりを近づけるような行動をとる(もしくはとらざるを得ない)人もいますが、そういう人でも人生の終わりを意識しているわけではないでしょう。
でも、そうではないんです。人生の終わりは、いつでもすぐそこにあるんですよ。いつかではありません。
命の終わりをみても、実感を持ちたくない
ニュースでは、ほぼ毎日なんらかの事故や事件で「命を失った」と報道されています。
そして自然災害で命を落とした人たちがいることを、あなたは知っているはずです。
あなたも私も、たまたまその場にいなかったから難を逃れた。ただそれだけです。
それでもどうして、人生の終わりを意識しないんでしょうか?
答えはひとつではないですが、個人的な見解としては【人生がいつか終わるという実感を持ちたくない】というコトも一因ではないかと考えます。
死がどんなものか、いま生きている人は当然ですが誰も知りませんよね。
怖いとか、苦しいんじゃないかとかネガティブなイメージはできますが。
そんなネガティブなものが、確定事項として自分の身にも訪れる…という事実は、人を委縮させるには十分です。
だからこそ、「死はいつか来るものには違いないけど、いますぐではない」と開き直って委縮しないようにしているのかもしれません。
そして、その開き直りがニュースでの報道をみても「自分には関係ない世界の話」と錯覚させている要因なのでしょう。
私も死が怖くないとはいいません。ただ、身内が立て続けに亡くなった事実を目の当たりにして、人生の終わりは決して遠い先の話とは感じなくなりました。
これもまたひとつの経験であり、人生の終わりへの考えが変わった瞬間です。
祖母は年齢もあってか、終わりを実感しているような発言もあったんですが、父はそれを感じていたのか。いまはもうわかりません。
ただ、人生の終わりはささいなきっかけから訪れるのは間違いありません。
人生は有限だと感じれば、何かが変化する
生活していると、時間は有限だと感じる瞬間がありますよね。
あなたはそう感じていながら、清水さんの言葉を借りれば「日々を粗末にしてしまう」コトが多いわけです。
くり返しになりますが、時間は有限、つまり人生も有限なんです。明確に終わりが見えないから、先の話だと感じてしまうだけ。
インドの弁護士、宗教家、政治指導者であるガンジーの言葉でこういうものがあります。
明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。
ガンジー
時間は有限だから全力で生き、ずっと学び続けろ、というふうに解釈できますよね。
重い病気になってはじめて、時間が有限だと感じた、人生の締め切りを意識した、という人はたくさんいます。
あなたもそのひとりかもしれませんが。
その意識は、普段の生活の中でも持っておくべき意識です。持てば、確実に何かが変わりますよ。
何かは人それぞれですが。私の場合は、やりたいことは全部やりたい!という気持ちが強くなり、実行する!と自分に約束するまでになりました。
あなたはどうでしょうか? 人生の締め切りについて、あなたも考えてみませんか?
この記事が、あなたのお役に立てれば幸いです。
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